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ワーキングプアOLの収入の歴史、こっそり告白②

こんにちは!着物エバンジェリストのカナです。

先月、途中まで書いてそのまま放置していた記事…、中途半端なのも気持ちが悪いので、需要があるかわからないけど最後まで書いてみようと思います。笑
もし待っていてくださった方がいらっしゃいましたら、大変お待たせいたしました!!!

前回の記事、まだ社会人3年目までしか書いてませんでしたね。。。まだまだ序盤やん。

では、編プロを退職してからのことをどどんといってみます!




派遣でお取り寄せサイトの運営事務

精神的にダメになって編プロの正社員を退職したわけですが、当時は一人暮らしだしギリギリの収入なので貯金も無し!
しばらくゆっくり休養、なんてまったく頭にありませんでした。
ハードワークが原因と分かっていたので、一般事務であれば問題ないはず、という確信もありました。

実は前職で編集業務のほかに、お取り寄せサイトの運営のサポートもしていたんです。
なんで編プロで???という感じですが、話せば長くなるのでまたの機会に。

このお取り寄せサイトは3つの会社が共同運営していて、その下請けで受注業務をうちが(私が)担当していました。
退職に伴い誰に引き継ぐか…という話になった時、サイトの運営事務局として1年間限定の「組合」を立ち上げることになったと聞きました。
それには専属スタッフがいるよね、ということになり、業務を行なっていた私を派遣社員として雇ってもらえることになったのです。

そのときの時給・1250円。

これ、今思うともう少し上げてもらえたんじゃ。。。と思います。
というのも、その場限りの組織なので予算もけっこうザックリ。派遣スタッフ採用の前例ももちろんないため、
上司「派遣社員の時給っていくらぐらいなんやろ?」
私「京都だと1200円くらいですかね~。いま、別の派遣会社と話を進めている派遣先は1300円ですね~」
上司「じゃ、間を取って1250円でよろしく」
という感じで決まったんです。
もう少し交渉慣れしておけば。。。!笑

以前より知っている人たちとの仕事でしたし、自由な雰囲気の中で働けたので、業務自体は結構やりやすかったです。
京都の老舗の商品を取り扱い、サイト内のブログも担当していましたが、「京都の四季折々をお届けします」ということで、取材と称して祇園祭を観に行ったり、紅葉の撮影に行ったり・・・。

ただ、よほどの利益が出ない限りは予定通り1年間だけで解散してしまう組織・・・結果、利益は出ず1年間だけで本当に解散してしまいました。



正社員でメーカーの商品企画

1年間事務をしてきて、働きやすかったけど編集・ライターだった頃のやりがいは正直ありませんでした。
当時の同僚とはほとんど連絡は取ってなかったけど、書店で同僚の名前の入った本を見つけるたび、羨ましくてモヤモヤしたような気持に・・・。

「モノづくり」に未練がありました。

そう考えているときにご縁があったのが大阪の日用品メーカー。

こちらは規模としては中小企業だけど歴史もあって、関西地方の人なら誰もが知る有名どころだし、わたしが入社する10年ほど前に大手上場企業の傘下となったまぁ安定した企業。

わたしが入ったマーケティング部は注力すべき部署ということで、私と同日に入った同期、そして若手数名以外は親会社から出向してきた「大手企業の人」。
※後に知るのですが、出向者のほとんどが何かしらの問題があり”飛ばされて”きた方々でしたw

も~~~、この会社が厄介でした。

親会社の会長による超ワンマン経営、社長も太刀打ちできません(一族経営で会長と社長は兄弟)。
社員たちも会長に嫌われないように立ち回ることが良しとされている組織でした。

私は商品開発という会社のトップに判断を仰ぐ役割だったので、会長にプレゼンをすることもあったけど、直属の部長には何度ハシゴを外されたことか…。

あ、この会社での恐怖エピソードはかなりたくさんあるため、別記事に分けます。

つまり、ワンマンの部下はワンマンで。。。出向してきた部長のワンマンっぷりに消耗するのみでした。

  • 残業=悪と言われ申請しても認められず、家に持ち帰って作業(もちろん残業代は0)
  • 飲み会は強制参加で、終電を逃すと部長と一緒にタクシーで帰宅(帰る方向が同じだった泣)
  • 出張先での単独行動はNG。みんなで深夜まで飲み歩く。帰りの新幹線も時刻を合わせて、出発まで駅構内のレストランで飲む。
  • 振休や有休を土日とくっつけて取ろうとすると申請却下される。ただし、とても機嫌のいい時のみ許可される。

結果、深夜・土日も働くことが多かったけど、残業申請出来なかったために

月収・19万円・・・のみ!残業代0円!(総合職です)

これを同部署の派遣社員さんに言ったところ「まじで??」と驚かれたので、たぶん時々残業していた派遣さんの方が収入が高かったと思う。。。

まだここには書ききれない部長の横暴っぷりに消耗し、最終的に適応障害となり半年間休職ののち退職。
半年間休職していたけど、ここには会社に対するささやかな抵抗の意味がありまして。本当は戻るつもりがありませんでした。

事実、半年後に復職に関する話を人事としたところ

  • 同じ部署に同じ待遇で戻る
  • 営業マンとして総合職のまま働く
  • 別の部署に事務職として働く・・・この場合、契約社員での勤務

営業なんて自分には合うとは思えず、どの選択肢も選びようがなかったです。

実は、次の仕事のアテもあったので、まったく未練なく辞めることとなりました。

まだまだ終わらない…つづく!!!