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ワーキングプアOLの収入の歴史、こっそり告白

こんにちは!着物エバンジェリストのカナ(@KANA_vintage)です。

「着物のお仕事をされているんですか?」

とよく聞いて頂くのですが、普段は事務職の仕事に就いています。
いわゆるOLです。

今の仕事は学校の契約職員でこの春から働き始めました。
組織としては大きな法人なので、さぞ高給なのではと思われがちですが、最近お給料について話すと「え?そんだけ??」と驚かれることが多く…。

社会人2年目から自分探しをして職を転々としている私にとっては、驚くほど低いとも思わないんですよねー。 まあ、新卒の頃が一番収入が高く、そこからどんどんと下がってるのは事実ですが…。

ということで、今回は私のお給料の変遷をさらけ出しちゃいます!(記憶の限り…)

新卒・メーカーで正社員

大学を卒業して入ったのは、半導体系メーカー。

この会社としては社員数350人ほどでしたが、大企業の半導体部門のみ独立した100%子会社のため、待遇は親会社とさほど変わらず、福利厚生も同じものが受けられました。

私が入った当時は液晶テレビがバンバン売れていた頃。
営業事務だった私は、「液晶テレビといえば」の某S社への注文書をよく捌いていたものです。そのため、景気は絶好調!





当時の月収は… 額面で19万円ほどだったはず。

プラス、残業代を月20時間分くらいもらっていたと記憶しています。
・・・と、ここまでは普通ですよね。

新卒だと平均的では?

ただ、この会社は当時業績がかなり良かったため、ボーナスは夏・冬それぞれ3ヶ月分以上はもらいました。(入社1年目は満額ではなかったかな?それでも多くいただけました)

2年目も同程度。
とっても安定しているし、福利厚生もしっかりしているのでいい会社でした。

でも。。。安定していると逆に不安になってしまうのが私・・・。

「やりがいのある仕事とは?」「10年後もいきいきと楽しく働いていられるか?」
と疑問を持ち始め、3年目に入る頃に退職しました。

 

派遣社員・メーカーで事務

少しの紆余曲折を経て、25歳の夏にメーカーで派遣社員として働き出しました。

本当は、出版の仕事に就きたくて就活をしていたのですが、貯金が底をつき(いや、もともと貯金があまりなかった。。。)目の前の生活をどうにかしないと。。。という決断でした。

場所は地元・滋賀です。

京都に本社のあるこちらのメーカーも、とても大きな企業。
いくつも拠点があり、派遣社員の人数もかなりの多さだったため「能力や部署に関係なく時給は一律。昇給額も年に一度、全員同じだけ」でした。

その時給、1,200円。
(アクセスが良く無い場所だったので、マイカーORバス通勤なのですが、もちろん派遣社員には交通費支給無し。会社近くの駐車場も自己負担でした)

「え?安い!!!」と思ったあなた、きっと首都圏か大阪あたりにお住いではないでしょうか・・・?

これは2005年の話ですが、 一般的な事務職であれば今の時給の相場もだいたいこれくらいです。 英語ができる、貿易事務の資格を生かす・・・となるともう少しアップする感じ。

以前、大阪や京都でも派遣社員を探していたことがありますが、京都なら1250、大阪なら1300以上…と、同じ関西でも時給格差はありますね。
この50円の差は大きいです。

そして、滋賀県民は休日は京都や大阪に遊びに行きますからね、、、安い時給で物価の高い場所に遊びに行く。。。泣

アルバイト・編プロで編集者!

派遣で働きながら、なんとか編集者の仕事を見つけることができました。

京都の小さな編プロです。
社員募集していたわけでもないけどこちらからのアプローチの結果面接にこぎつけて、「アルバイトでなら…」と働き始めることができました。

時給:850円(交通費無し)

これでも、、、「家が遠くて交通費が高いから」と50円アップしていただいた額です。

働き始めて数ヶ月後、あまりにも残業が多かったため、編集のリーダー(正社員4年目)よりも月の収入が上回ってしまったそうです。(先輩の収入は知らないけど、少なく見積もっても25万円以上はあったはず)

その際に社長から告げられたのは・・・

「きみ、これだけの額の働きができてるの?それなら僕に教えてよ。言えないんだったら、それなりの金額に下げるからね」

と、時給労働なのに、実際の勤務時間よりも少ない計算で支払われたことがあります。
 悲しみやら怒りやら、、、事実を把握するのも怖くなったので(生きているのが辛くなると思った)実際もらうはずだった金額との差は、あえて計算していません。

たしか、先輩にも相談できなかった記憶があります。。。

正社員に登用後…。編プロ

その後、正社員の先輩が退職したのにともない、めでたく(?)正社員になりました。

月給はちゃんと記憶に無いのですが・・・月給15万円+裁量労働制で20時間の残業で2万円くらいプラスされていたような。

当時、終電で帰れないほどに残業が増えたので1人暮らしをスタートしたのですが、余裕のない経営体制、もちろん住宅補助なんてありません。

補助どころか・・・「ザ・自転車操業」

なるべく経費を抑えるため、お給料は経理担当のパートさんによる手渡し。社長が猫好きだったこともあり、封筒には『今月のエサ代』

彼にとっては茶目っ気のつもりでしょうが・・・中身の額を考えたら、とても笑えない。。。

あるとき、待ちに待った給料日でスタッフ一同とても楽しみにしていたんだけど、パートさんは定時に帰宅。

え????一瞬凍りついた後、ざわつき始めるオフィス。

「今日、、、だよね?」「今日中に家賃振り込みたいのに・・・」ザワザワ。。。

社長もその日は会社に居ないし、お金のことって口に出しづらいし、わけの分からないまま帰宅。

結局、週末をまたいで数日後、何事も無かったかのようにパートさんより手渡されました。全員分に支払う残高が無かったらしい。
(ふつう、こういう大事な事って社長からの事情説明あるよね・・・)

なんと、

その数ヵ月後にも再び同じ事が起こり、そのときはさすがに社長から1人ずつに説明がありました。
「今日支払われるはずの取引先からの入金が無い。それが無いことにはみんなに払えないから1週間ほど待って」

あー、この会社つぶれかけているのか・・・。と危機感を持った・・・わけではなく、このとき既に
○心身ともに疲れ果てていた
○日々迫る〆切に追われ、「冷静に考える」時間すら無かった
・・・ということもあり、あまり大事として捉えていませんでしたね。

他のスタッフはというと、この会社以外で就職した事がない、という人も多く、この自転車操業に疑問も持っていなかったように感じました。

その後、精魂尽き果てて病気に伴い退職。使いきれなかった有休は、”わずかな”額に換金してもらいました。

そこから約10年後、ついにこの会社は倒産しました・・・。

<つづく>